← 記事

「鍋を食べる」やることをやり、鍋を食べるときは鍋を食べる|生きてるって、いいね

仕事が終わって、お腹はぺこぺこだった。外に食べに出ようとしたら、突然の土砂降り。

雨の日が好きだ。ひんやりした空気、ちょうどいい湿り気、傘に当たる雨音を聞いているだけで、なんだか美しい。

雨の日はやっぱり、鍋が一番だ。

スープがぐつぐつ煮立って、豆腐と青菜が浮いては沈む。スマホを少し近づけて、刻みネギとレンゲ、立ちのぼる白い湯気を撮った。ふと、数週間前のある日常が頭をよぎった。

あれも仕事帰りでお腹がぺこぺこだった日。友人を誘って鍋を食べに行った。あの頃はずっと気持ちが沈んでいて、鍋を開けた途端、胸の中のもやもやを一気にぶちまけてしまった。

私の仕事は採用で、研修も担当している。

新しい人が入る前にはっきりした基準があってほしいし、入った後は、どう教え、どう引き継ぎ、任せるべき人にきちんと仕事を渡せるか、誰かがわかっている状態にしたい。

情報が途切れたとき、間に立つ人がどれほど慌てるかを見てきたし、準備が整わないまま現場に押し出される人も見てきた。

だから既存の業務フローを整理してマニュアルにまとめ、新しい仲間が入るときに案内できるようにした。順番がはっきりしていれば推測しなくていいし、やり方が明確なら、次の人はゼロから手探りしなくて済む。

でも一緒に働く人が、いつも同じ考え方とは限らない。

現場で気づいたらすぐ調整する人もいれば、目の前に来てから対応する人もいる。それぞれのやり方にはそれぞれのスピードがあり、抱えているプレッシャーもある。現場の大変さは分かるつもりでも、それでもだんだん気持ちが沈んでいった。

鍋のスープは火を止め忘れたまま煮立ち続け、どんどん濁っていった。

悔しい気持ちを一つひとつ友人に話した。ちゃんと考えたし、ちゃんと提案もした。なのになぜ、自分がいいと思う方向に進まないんだろう、と。

彼は向かいに座って箸を持ち、自分の鍋の中でトマトを探していた。時々うなずき、時々「へえ」と相づちを打ちながら、のんびり聞いていた。

「なあ、このトマトスープうまいよ、一口飲んでみる?」

「……」

「……」

「え?」

「飲んでみなよ。」

彼がレンゲに半分すくってくれたので、碗を持ち上げて一口飲んだ。

スープは熱くて、トマトの甘酸っぱさがじわじわと広がった。まだ何か言いかけていたけれど、まあいいか、先にスープを飲もう、と思った。

私は話を続けた。彼はご飯を食べながら、聞き続けてくれた。時々顔を上げてこちらを見て、話し終わるのを待ってくれる。悔しさをぐるぐると繰り返し話している間も、テーブルの上のスープは煮立ち続け、鍋の青菜はもうくたくたに煮えてしまっていた。

私は正しすぎた!

私がやったことは、どれもこれも正しすぎた。

正しすぎて……

心が憂いでいっぱいになった。

話す言葉のひとつひとつで、私はみんなの立ち位置を決めていた。誰が気づくべきか、誰が受け止めるべきか、誰がどんな順番でやるべきか。

私が大切に育ててきた、あのやり方で。

一番いい方法で。

一番正しい方法で……

本当に、正しかったのだろうか?

青菜がくたくたになっていたことにも、気づいていなかった。

「照見五蘊皆空」

もう一口スープを飲んだ。豆腐も青菜もスープも火も、どれひとつ私が作ったものじゃない。私はただ、鍋に入れただけだ。

私が一番正しいと思っていたその方法も、煮出されたものであって、最初からそこにあったわけじゃない。採用も研修も、あのマニュアルも案内も、ここが私にやらせてくれたことだ。

ここが十分な機会と忍耐を与えてくれて、何度も何度も私を待ってくれた。

ここに来たとき、私は何もできなかった。

今日の私は、ここでのゆっくりとした慈しみと待ち時間の中で、じっくり煮込まれたスープのようなものだ。

煩悩とは、燃え盛る心の火だ。煮立たせて、表面に浮いてくる灰汁のようなもの。灰汁をすくい取れば、スープは底まで澄んでいる。

「度一切苦厄」

やることをやるべきときにはやり、寝るべきときには寝て、鍋を食べるべきときには鍋を食べる。

できることはやる。あとは、待つ。

雨の日だ!やっぱり鍋が一番だ。雨は相変わらず、私の好きなあの雨——ひんやりして、しっとりしている。

青菜を鍋に入れる。

浮かんでくるのを待つ。

中国語の原文(2026-08-27公開)からの翻訳です。